TUBOJUNコラム Vol.24


「朝のように、花のように、水のように」


皆さま、こんにちは!新年ということで今年の抱負を立てた方も多いでしょう。私も「酒の量を減らす」など毎年頓挫している具体的な目標(?)は心中あるのですが、総括しての抱負を、敬愛する小説家開高健が遺した言葉から引用して自らのブログで発表するというキザなことを毎年続けています。そんな今年のテーマは「朝のように、花のように、水のように」。これは開高健の作品中で用いられたことはなく、色紙を頼まれた時に好んで書いた(そのような言葉は他にもある)と云われる言葉です。

釣りを趣味としていた父の影響で中学生の頃から読み始めた開高健の本。最初は「オーパ!」など釣り紀行のダイナミックな写真を見て楽しんでいたのですが、徐々に開高健が醸し出す知性とそこから生み出される芳醇な文章そのものに惹かれていったのです。26歳の時に父が亡くなると、形見として手元に残った本の他にも次々と作品を買い集め、今では開高健の本が自宅の本棚に百数十冊並ぶように。同作家の作品はほぼコンプリートしたと自負していますし、残りの人生で何度も手に取ることが楽しみでなりません。

そんな中から過去に新年の抱負として選んだ開高健の名言を紹介すると次の通り。

 「悠々として急げ(festina lente)」
 「漂えど沈まず」
 「毒蛇はいそがない」
 「STUDY TO BE QUIET(おだやかになることを学べ)」
 「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」
 「死を忘るな(memento mori)」

いずれも単なる一年の抱負に留まらず人生における座右の銘たる珠玉の名言ばかり。世界各地に伝わる古語や古諺を作家が解釈し直し現代の光を当てた言葉。それぞれの言葉の由来やその言葉を作家が用いるに至った背景などを説明したいところですが、私自身の思い入れが強過ぎて語り出すと確実に長くなるので敢えて省略。

さて、戻って「朝のように、花のように、水のように」の言葉についてだけは簡単に触れておきます。開高健は旅先にあっても文語訳の旧約聖書を持ち歩き読み物として愛読していた。その中のヨブ記の一節に触発されて作家が創作したものではと云われています。以下、ヨブ記第11章の一部を抜粋。ただし、文語訳では大半の人が理解出来ないので口語訳にて紹介。

「もしあなたの手に不義があるなら、それを遠くされ、あなたの天幕に悪を住まわせてはならない。そうすれば恥じることなく頭をあげることができ、堅く立って恐れることはない。あなたはこれを覚えることは、流れ去った水のようになる。そしてあなたの命は真昼よりも光り輝き、たとい暗くても朝のようになる」

また、「朝のように」「花のように」「水のように」のそれぞれの後に「生きる」の三文字を付け加えると言葉の輪郭が浮かび上がり、さらには「生きる」の前に「爽やかに」「明るく」「清らかに」の形容詞を加えるとより際立つ。しかし、それは説明し過ぎであり野暮というもの。余白に含んだ意味は、この言葉を受け取る人それぞれの人生に投影されるものでしょう。「朝のように、花のように、水のように」この一年の日々を過ごしたい。

TUBOJUNの日々の仕事の様子はコチラ http://bpprt344.hamazo.tv/


バックナンバー