脱・デフレの発想

いわゆるリーマンショック以降、ご多分にもれず「減らせ」が金科玉条となった訳ですが、かれこれ8年。「減らせ」が必要だったのは2年前まで。人員、残業、休日出勤・・。人手不足が叫ばれるこのご時世、行き過ぎた「減らせ」が不効率や歪みを生み出していました。脱・デフレの発想。

ということで、ここで一挙増員を計画。全社全職種を対象にスタッフ20名を募集します。本日は今週23日から掲載する求人広告の原稿をチェックしています。悪貨は良貨を駆逐する、転じて良貨が悪貨を駆逐する。グレシャムの法則からの脱却が社内活性化に資することを期待します。

もし福沢諭吉がドラッカーの『マネジメント』を読んだら

P.F.ドラッカーの『マネジメント【エッセンシャル版】』を久し振りに再読しています。いちプレーヤーだった初読の頃に比べ、この10年ほどの経験により「なるほど!」と実感する定義は増えた。部分部分では確かに腑に落ちる。しかし、全体的にはやはり分かったような分からないような・・。

思うに、その理由。当然、一般論として漠然と読むのではなく自社あるいは自分(たち)に置き換えながら読み進めるのですが、ドラッカーの『マネジメント』は中小企業に触れる部分もごく僅かあるが、基本的には大企業の目線だということ。だから置き換えのイメージが湧き難いというのがまず一つ。

もう一つの理由。「マネジメント」という言葉。それって、そもそものところ一体何?ということ。そのものズバリ相当する日本語が無い。これも実は分かったような気にさせる「ビッグワード」の一つかもしれません。もし福沢諭吉が『マネジメント』の原書を読んだら如何なる日本語に置き換えるのか?有り得ない想像ですが、興味深い。

30分

私は、この会社に入社した当初から上司という存在が無いまま現在に至る訳ですが、思うところあり、ある時期から報告用の業務日報を作成し、社長宛に提出しています。毎日やるからこその日報であり、退社する前に必ず日報を作成しながら1日を振り返る習慣は継続しています。

某金融機関の新入社員だった頃、隣りのデスクの先輩から「日報を書くのに毎日30分かけろ!!」と厳しく指導されました。当時は「面倒くせー」と強い反発心もあった。しかし、今になってその言葉の真意が分かります。報告事項が多くて30分必要なほどに仕事の質と量を高め成果を挙げよということが。M先輩、感謝しています。

そして今日も1日を振り返る。バタバタと受け身で動いているだけで意外に書くことが無い空っぽな1日もある。日報の行数が足りないことに密かな満足感を得る1日もある。真剣に日報に取り組むと、誰にでも唯一平等に与えられた時間というものを漫然と消費し、自分は如何に仕事をしていないかを自覚する。静かに内省。そんな30分。

学びの場

本日は例によって島田の簡易裁判所に来ています。同じ「裁判」といっても都市部の大きな裁判所はベルトコンベアに乗った流れ作業の如く感じるのに対して、こういう小さな裁判所は長閑というか人間味があります。

このところは週イチの裁判所通い。毎回、大変勉強になります。本来ならお世話にならないならその方が良い場所ですが、仕事として機会を得ているなら積極的に勉強したいものです。そんな環境が与えられていることに感謝。

先送りしがちな仕事

東海北陸厚生局に提出する確定給付企業年金の事業及び決算に関する報告書。毎年3月末が提出期限であり、毎度毎度で先送りしがちな仕事。土曜日の午前中という最も集中出来る環境のもと何とか終了。

日常の仕事の大半はスタッフたちに任せていますが、中々手放すことが出来ない仕事の一つがコレ。何らかの事情で会社に出られなくなった場合、こういう仕事は・・?と不安にも思う最近。

自分しか分からない仕事。会社ですから、そういう仕事を無くしていかなければいけません。自身にとっても、手放してこそ得られるものがある。