TUBOJUNコラム Vol.25


「勘の正体」


皆さま、こんにちは!受験シーズンとなりまして、受験生ご本人も、そのご家族も少々落ち着かない時期です。私自身は大学受験から既に四半世紀以上経っていますが、いまだに受験生に戻った夢を見ることがあります。試験を目前にし、「ヤバい!何にも勉強してない!」と今さら焦ったところで夢から覚める。当時、割とお気楽な受験生だった記憶がありながらも、大学に落ちて「浪人」も経験していますし、どこかトラウマがあるのでしょうか。

1年間の浪人生活を経て結果的には志望大学に合格できたのですが、その試験当日、鮮烈な思い出があります。合否を分けると云われていたのは、苦手の数学。試験の前日、気休めにそれまで手付かずだった1冊の数学のテキストを手に取り、たまたま開いたページ。何となく気になった問題を解いてみたのです。結果、全く歯が立たず不正解。しかし私の思考回路とは全く異なる解き方を解説で読み、「面白い問題だな・・」と思ったのです。そして試験当日・・。

数学の問題用紙が配られると、5問ある問題のうち2問は何とかなりそう。2問は全くダメっぽい。そして残りの1問が・・、何と前の日に解いたテキストの問題とほぼ同じだったのです!ラッキー!!差が付きやすい数学で3問以上答えられるかが合否のカギと云われていた試験。「何となく気になった」前の日の出来事が私を救ったのです。「勘が当たったよ〜!」と小躍りしたい気分。とまあ、試験に限らず、似たような経験は誰にでもありませんか?

それから四半世紀が経過。数年前、西鉄などで活躍した元プロ野球選手の豊田泰光氏(故人)が日経新聞のスポーツ欄に連載していたコラムを読んで「我が意を得たり!」と膝を打ったのです。そのコラムで豊田氏は「勘の正体は経験の集積」だと指摘。経験の集積とはつまり、長年様々な事例にあたって意識の底にたまったデータが事にあたって力を発揮したということ。その後も本や様々な記事などを見ていると、サントリーの佐治忠信会長やサバイバル登山家の服部文詳氏といった著名人が「勘の正体」についてやはり同様の発言をしていることに気付いたのです。

「勘」というと第六感や霊感といった軽い超能力的なもののように語られることも多いのですが、実は経験、練習、勉強といった努力の積み重ねの結果、つまり実力なのです。多くの経験を蓄積しなければ勘は働かないし、それにも関わらず勘が働かないとすれば漫然として経験を生かさず問題意識が低過ぎるかも。経験も無いか僅かであるのに当ったということは勘とは言えません。再現性のないそれは単なる「マグレ」。それまで勘とするのは、それこそ「勘違い」というもの。勘の正体は経験の蓄積。分かる人には感動的に理解出来るでしょうし、分からない人には全くピンとこない話かもしれません。

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